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響け! ユーフォニアム 視聴感想 ~どうしてこんなに緊張するのかしら~

レビュー、感想とか ギャルゲー

なんだこの緊張感!>挨拶

響け! ユーフォニアムを見ているのですが、一話目の冒頭部分からすでにまるで自分が当事者であるかのような緊張感を感じながら、思わず背筋を伸ばし姿勢を正してしまうくらい引き込まれてしまっている自覚があります。
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私自身は吹奏楽に関しては全くの素人なのでそれほど思い入れも無く、いわゆる部活モノ群像劇として見始めただけなのに、どうしてこれだけ胃が重くなるような緊張を強いられるほど作品世界に惹きつけられるのか。それは、響け! ユーフォニアムという作品が、まるでアニメであるという事を感じさせない程のリアルさを伴っているからではないかと思う。

なにが”リアル”だというのか。一見しただけでもわかる、絵の緻密さとキャラクターの表情の豊かさ。
大人数で行う吹奏楽の合奏、その部員一人一人に至るまできちんと描き分けている。
会話の最中には喋っているキャラクターが台詞を発しながら表情を変え動作を交えて、体全体でその時々の感情を表現する。複数で会話している際には、聞いている側も棒立ちになるのではなく相手の話題に合わせて細かくリアクションする。
一切の妥協を感じさせないような緻密でありながら、それでいてキャラクターたち以上に目立つことが無いよう主張しない美しい背景。風景をだけを映し出して時間経過や場面転換に利用するというアニメとしては珍しい演出。
金属質な光沢まで再現された楽器と演奏する際の自然な動作。
情景や心情がつぶさにうかがえるBGM(しかも音質も素晴らしい!)。

いまいちアニメに詳しいわけではない自分から見ても、アニメ制作の雄として名をとどろかせた京都アニメーション作品らしく、上記の全てがアニメとしての驚異的なクオリティの高さを誇っており、それらも勿論リアルさを感じさせる要因の一つに間違いないように思う。
しかし、普段自分がどんな素晴らしい映像作品を見ていても感じられないような妙な迫力を本作に感じる理由の本質は、そういった単に”アニメとしての質が高い”という映像的なアプローチだけでは説明しきれない。
実写映画やドラマを見ているとその人間の演技に”わざとらしさ”が優先して感じられてしまう為あまり好きではないのだが、響け! ユーフォニアムはアニメーションであるにもかかわらず、むしろそういった実写作品以上に、まるで作者の趣味が人間観察であるかと思わせるほどキャラクターたちの心の機微や環境下における行動に妙なリアルさ、生々しさを感じてしまうのだ。
そう、作中で久美子たちは、単なるキャラクターだと切って捨ててしまえる程記号的な存在ではなく、まるで自分で感じ、考え、行動しているかのような、どこまでも等身大の人物として青春の時を過ごしている姿がえがかれているのだ。

時に不用意なたった一言でダメになってしまう人間関係

「本気で全国行けるって信じてたの?」
物語冒頭で主人公、黄前 久美子の所属する吹奏楽部はコンクールで金賞を受賞したものの、それは関西大会への出場権の無い所謂ダメ金だった。
この受賞を聞いたときに久美子は隣で顔を伏せ肩を震わせる高坂 麗奈を見て泣くほど嬉しかったのだと勘違い。”よかったね、金賞で”と声をかける。
しかし麗奈は悔しさの余り涙を流して打ち震えていたのだった。“私ら全国目指してたんじゃないの?”と悔しがる麗奈に対しての久美子の返答だ。
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麗奈を激昂させるには十分だったこの言葉だが、久美子は何も皮肉でも冗談でもなくまさしく本心から自分たちの吹奏楽部が全国へ行けるだけの力量も練習量も持ち合わせていない事を自覚していたから思わず口をついて出てしまったのだろう。
だがそれは”本気で全国を目指していた” 麗奈にとっては、チームメイトが自分の想像よりもずっと真面目にやっていなかったことの証でしかなく、この瞬間二人の友情には大きな亀裂が入ってしまうのだが、久美子は言葉を発して麗奈の反応を見るまでは自らの発言で関係が悪化するなど夢にも思わなかっただろう。
人と人とのコミュニケーションは本当に難しい。
一人一人が異なる価値観と考えを持ち、同じ言葉一つとってみてもそれがもたらす意味合いも重みも全く変わってくるのだから。
自分としては軽い気持ちの発言だったとしてもそれが相手にとっては不愉快だったり意図しないような受け取られ方をする場合もあれば、今回の様に自身の言葉が持つ”重み”を軽視し過ぎていたが為に人間関係を駄目にしてしまうこともあるかもしれない。
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相手になんとしても伝えたい思いがあったとしても、それが怖くて伝えるのを二の足を踏んでしまう。
でも実際に相手と話してみると、自分の心配は杞憂で相手は思いの外気にしていなかった、なんてこともあるかもしれない。
久美子が一、二話において麗奈との距離感を測りかねて思い悩む姿を見ていて、彼女の思考が自分と良く似ている事に気が付いた。
わかる、わかるぞ、その気持ち!!と事ある毎にうんうん頷きながら見てしまったほど。これが本作を見ていて妙な共感を抱いてしまう主な理由かもしれないな……。
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相手によって変わる久美子の”顔”と、正反対のスタンスをとる麗奈の交流

私にとって一番のポイントはここかもしれない。
「親切ないい子の顔して、でも本当はどこか冷めてて」とは麗奈の久美子評だが、正しく久美子の本当の表情は後者であろう。
人は誰しも他者と接するときには相手によって求められる自分を演じている。
それは相手に好意的に受け入れられたい、意思疎通を円滑に測りたい、という打算的な思惑によるものだ。人
間が社会的動物である以上、これを無下に否定することはできない。
久美子の場合、相手によって明確に自分の姿を使い分けているのが作中で明示的に示されている。
先に書いたように集団に於いては当たり障りなく柳の様に受け流す余所行きの顔。共同体においては自己主張は極度に避け、良くも悪くも自分に注目が集まるのを避けようとする。
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ある程度見知った相手であればより素直に感情表現をして、時にガードが甘くなり思わず本音が漏れてしまったりもする。
さらに家族や秀一といった深く見知った関係で有れば今更取り繕うような事はあるまいとばかりに醒めてだらけたような応対を見せる。
そんな久美子の顔の変化を違和感なく受け入れられるのは声優さんによるところが大きいだろう。
普段の明るく元気な彼女と、家族や秀一と話すときのどこか投げやりでやる気の無さげな彼女の温度差が一言に込められていて、その演じ分けの上手さに驚いたとともに、その演出がリアルな彼女の像を結ぶために大いに役立っていたように感じた。
一方の麗奈はそんな顔の使い分けを由とせず、自分を偽ってまで共同体に属したいとは思わないという。
かっこいい生き方である。だが、それは同時に多くの艱難辛苦を抱え込む茨の道でもある事は明白だ。
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そんな対人関係におけるスタンスが全く正反対の二人の交流は、サンフェスの直前練習後に葉月と緑輝の二人と別れた後、車内で油断してだらけきった姿を麗奈が目撃したことがきっかけだった。
滝先生についてどうかと聞かれ、乗せるのが上手いもののいきなり全国大会優勝は無理だと懲りずに思わず本音を漏らす久美子。
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そんな様子が久美子らしいというと、後日先輩のトランペットを遠慮なく上から目線で評する麗奈を高坂さんらしいねとやり返すのを忘れない。
これを言われた直後赤くなり意識をそらすようにトランペットを吹く高坂さん可愛い……じゃなくて、そんな二人の見ていて微笑ましい交流は本作のハイライトの一つであろう。
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そんな二人の友情の結実の瞬間、八話の久美子と麗奈の二人が祭りの最中に大吉山に登るシーンは本作の中でも特に好きな場面の一つだ。
愛の告白というのは言い得て妙で、親切ないい子の皮をめくりたいという要するに他所行きの顔しか向けられない関係から一歩先の関係へと進めたいという意思表示は麗奈の反骨心が良く表れていると思う。
どんな時も折れる事無く我を通そうと努力を惜しまない彼女の姿は本当に神々しいまでで、雪女に見とれて死んでもいいという面白い表現でもってすんなり身に染みてくる。
お互いに自分を飾らず遠慮することなく本音で接する事の出来るような、得難い友人関係と言うのは見ていて本当に羨ましいものだ。
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共同体における同調圧力と自己表現の難しさ

全国大会出場を目指すか否か?顧問に就任した滝先生に問われた際には、多数決で全国大会出場を目指すと決まった。
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多数決の際、賛成にはちらほらと手が上がり、明確に反対したのは斎藤 葵の一人だけ。また賛成にも反対にも手を上げない人間も少なからずいたに違いない。
この時はまだ、部の方針として全国を目指すと言っても部内には楽観的な雰囲気が残っていた。
多くの部員たちは、以前どおり全国を目指すというスローガンを掲げながらも、それはあくまで努力目標であり、昨年通りのんびりやればいいと思っていただろうし、柔和な物腰の新しく着任した顧問の事を軽く見ていて、だからこそ全国を目指す意思はあるという見栄を張りたいという思惑もあっただろう。
こういった消極的な意思決定手段としての多数決を見ていると、共同体においていかにも”ありそう”だし、自身の経験も思い起こされるようだ。
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多くの部員が”なんとなく”流れに流されるようにして決めた全国大会出場に向けて、滝による特訓が始まった時、不満の矛先はスタート地点にも立っていないと酷評する滝へと向けられる。
ボイコットするかのように練習を中断する部員たち。
『今決めた目標は皆さん自身が決めた目標です。』『貴方たちは全国へ行くと決めたのです。』と滝が言うように、多数決の結果とはいえそれが部の総意であると認めた以上、自分たちの意志に違いない。
自分たちの思い通りにいかないときはその不満の捌け口を求めてしまうのも世の常。
彼女たちの場合はその不満を見返してやろうと練習に精を出す方向へと変換できたのは幸いだったが、実際にはもっとドロドロした悪い空気になってしまう事も少なくない。
集団においては、何かしら本当は思うところや胸の内に秘めた自分の考えがあるのだけれど、それを表に出すと空気を読まないと自分がその反感の対象となってしまうかもしれず、それが怖くて目を伏し俯いて見えない聞こえないふりして、周囲の意見に流されてしまう。
やはりそんな久美子は自分にそっくりだなと思いながら見ていたり。そしてそんなこととは縁遠い麗奈ちゃんがかっこよすぎる……。
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現在10話までみて、物語もいよいよ佳境に差し掛かってきました。
北宇治吹奏楽部は全国へ行けるのかはもちろん、久美子と麗奈を始め、部内の人間関係がどう変化するのかを楽しみに、最後まで見てみたいと思います。

ではまたーノシ