オーディオ迷宮輪舞曲part1 ~迷宮への誘い~

レイシアのオーディオ遍歴をこちゃこちゃと書いてみるシリーズpart1

オーディオという世界に初めて触れたのは、オーディオテクニカのヘッドホンだった。
今でこそipod付属のイヤホンも(付属品としては)かなり上手くチューニングされていると思うが、当時の物はまさに付属品、あくまでオマケの様な製品だった。
よくあれで不満を覚える事無く聞いていた物だと思うが、ヘッドホンやイヤホンで音が変わるということを考えもしなかった。
それだけオーディオに対して無知故に興味を持つことも無かったのだが、これはある意味オーディオではなくもっと純粋な音楽を聞く事が出来ていたのかもしれないな、と現在の自分の有様からすると憧憬の念に駆られそうになる。

それはともかく、ある時手にしたヘッドホンがセカイを変えた。
くぐもって聞こえたボーカルがよりはっきりと聞こえる!今まで聞こえなかった音が鳴っている!低音の質感と量感がこんなにも感じられるのか!

オーディオ的快感を伴う衝撃的な体験は、もっといい音を聴きたいという欲求を呼び覚ます。
ヘッドホンは当時五万円程度の機器を試聴した上で、AKG K-701という製品に行きついた。
ポータブル界隈もずいぶんと高性能化が著しく魅力的な機材も増えたが、当時の製品群ではSTAXを除くともっとも声の表現力に優れていたのが選んだ理由だった。
ちなみに余談だが、このヘッドホンは今でも現役だ。一見オーディオ製品は非常に高価だが、自分にきっちりとハマる製品を選ぶととても長く使えるのが良いところだと思う。

ここで満足していれば幸せだったのかもしれない。しかし欲は留まるところを知らず、今度はスピーカーに手を出した。エントリークラスの製品から始まり、色々な機種を買い替えていったが満足に至らず、より上の製品を目指すようになった。

現在オーディオ製品はインフレ化の一途をたどっており、今だと30万円ではせいぜいミドルクラスが関の山だが、当時は円高も手伝って、それくらいで一つの頂点とも呼ばれた製品が買えた。
特にB&W 805D、Monitor Audio PL100は抜きんでた性能を示しており、今考えてもバーゲンプライスだ。
左がPL100、右が805D。現在ではどちらも後継機種となっており、値段は倍近くまで上がってしまった。
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試聴した限りではPL100の方が好みに合っており、これで自分も上がりと考えていたが、当時情報収集していたネット上で『アニソンを聞くならDALIのepicon2』という評判を見かけて気になった。
実際に聴いてみると、なるほどとても聴きやすい。先の二つの製品が寒色系の音だったが、こちらは暖色系の為アニソン特有だと考えていた『録音の悪い感じ』が薄らぎ、どんな音源でも聞きやすくなる。何度か試聴して、内定していたPL100や805Dよりも聴きたい音源に向いていると思い導入を決めた。
(2016年のシステム)
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今振り返っているからこそ分かる事だが、この時点でいくつか大きな過ちを犯していた。
まずepicon2を選んだこと。
スピーカー側での脚色、敢えて帯域を狭める事でより音楽として重要な部分をクローズアップするアプローチは時に正解なのかもしれないが、スピーカー以外の要素がシステムの出音にもたらす影響までマスキングされてしまい、他のコンポーネントを比較試聴する際に余計な苦労が伴った。
DALIの名誉の為に書いておくが、epicon2自体は非常に優れたスピーカーである。脚色と言っても非常に上手くチューニングされているので、環境によっては非常に心強い味方になるだろう。しかしそれはスピーカー以外のコンポーネントをきちんと選びきってからの最後の選択としてするべきだった。
そうでなかった自分はその後のオーディオでずいぶんと回り道をすることになった。

他にも自分のシステムで良い音が鳴らない原因をスピーカーのせいにしてしまっている事。これは最悪だ。
まるですんなりスピーカー導入を決めたように書いたが、実はepicon2導入までに、KEF IQ30、Focal 806VW、Quadral Aurum Altanなど、いくつもスピーカーを入れ替えている。
スピーカーを変更すると確かにシステムの音は変わるのだが、その当時の環境ではスピーカーのキャラクターが変化した位の差異しか認識できず、スピーカー交換による出音の根本的な改善や本質的なクオリティアップといった目論見は外れてしまっていた。
その原因はそれよりももっと先に見つめ直さなければならない場所、手をつけなければならない部分があるからなのだが、袖にされたスピーカーたちは可哀そうな限りである。

ただ唯一の救いは、自分の不始末を製品の責任に転嫁したり、そういった製品の評価としてSNSやネット上に書き込む事だけはしなかった事だろうか。
なにしろ自分のシステムでは機材を変更してもこの程度の差しかないのか?というなんだか納得いかない思いと、どこかしら製品達が本気で鳴ってくれていないような、確信に近い不思議な感覚があった。
自分がその原因の一端に気付くのは未だもう少し先になるが、それについてはまた次回。

それにしてもオーディオ製品の所謂レビューと言われるものを見ていると、追い込みもせず繋いでみただけ、果ては店頭で聴いただけで機器の音を全て把握したつもりで断じているものがどれほど多い事だろうか。
よりエントリークラスの製品でそういった傾向が強いことで、製品にとってもユーザーにとっても不幸せな環境になっているように感ずにはいられない。