できない私が、くり返す。 岩出山 未喜シナリオ 感想

残暑お見舞い申し上げます>挨拶

煩いと思っていた蝉の声もすっかり耳にしなくなると、ああ夏が終わったんだなぁとちょっぴりさびしく思う今日この頃。
皆さまいかがお過ごしでしょうか。自分はというとようやく夏の仕事から解放されて少し穏やかな日々が戻ってきそうでホッとしていたり。
夏の間にやろうと思っていた夏ゲーが色々とあるのですが、それも早めに手をつけねば……!と思ってますが、とりあえず先に先日プレイしたできない私が、くり返すの感想を書いて行こうと思います。
ネタバレは注記しますのでご安心をー。

できない私が、くり返す。

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岩出山 未喜シナリオ

思わず頭をワシャワシャ撫でたくなるヒロイン。キャラもシナリオもワケアリなヒロインばかりの本作で、ある意味一番ニュートラル(普通のエロゲ的)な存在。
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打てば響くという言葉がぴったりの、主人公との漫才のような弄り合いはもちろん、それに合わせて喜怒哀楽がはっきり出るタイプなのでころころ表情が変わるのを眺めているだけで楽しくなってきます。
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どんなめんどくさいボケでも嫌な顔しつつもきちんと付き合ってくれるミキミキマジ天使!

とまぁそんな感じで未喜自身は後輩系ヒロインとして魅力的であるにもかかわらず、彼女のシナリオですが本作の呪縛からは逃れられなかったようで、大変残念な問題が……。
それは超絶シスコンな兄、篤史の存在。極端な性格はキャラクターの独自性を際立たせるのに役立つ手段なのでしょうが、篤史の"妹に近づく男はみんな敵だ!"とでも言わんばかりの敵意は作中では結果として主に陸へと注がれることとなっています。しかもその内容が刺すだの殴るだのコロすだの、口先だけとはいえ見るに堪えない暴力的で物騒な内容が多くて、正直言って見ているだけで不愉快になります。
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出会って一分も経ってない荒ぶるおにーさんの図。正直頭おかしいんじゃないかと思いました(小並感

そしてシナリオでも当然のように絡んでくる……のは仕方がないにしても、結論から言っちゃうと未喜シナリオの主題が『篤史に妹離れさせるために恋愛成就させる』事なので、結果的に彼の為に頑張ることを強いられる展開に……。ポルナレフ風に言うと

あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
「おれは 篤史の恋路に奔走したと
思ったら いつのまにか未喜と結ばれEDを迎えていた」
な… 何を言っているのか わからねーとおもうg(ry

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いや、マジなんですって!なにせ篤史がくっ付いたので彼女とイチャイチャできるよう気を使って外出。未喜のひとりえちぃを見ちゃってたから妹以上の存在に思えてきて、そのまま告白からのえちぃシーン連続でED流れましたからね!!
もう一山、とまではいかないまでも、結ばれた後の未喜とのイチャラブや篤史に対して”お前の妹寝取って?やったぜ!やーいやーい!!”と事ある毎に煽ってやろうと思ってただけに拍子抜けですよ、本当に……。。
おまけで篤史の優男臭がプンプンする声も気に食わなかったので速攻で個別音声で切ったのは内緒。それでも声付き扱いの為、次の音声再生まで停止しない機能にまで食い込んできやがります。
どこまでも未喜未喜との恋路を邪魔しやがってー!ふぁーーーっく!!

無償で働くということ

詩乃が亡くなり失意に沈む陸。彼が町をさまよった後に訪れたのは岩出山兄妹が経営するカレーレストラン、匙だった。これまで人助けの旅をしてきたという陸に、未喜は「うちも人手が足りてないけど、お金は無いからタダで手伝って欲しい」と冗談半分でお願いすると、予想に反しあっさり了承する陸。驚く未喜と篤史を尻目に陸の考えは揺るがず、結局賄い料理でカレー食べ放題という条件で匙で働く事となった。
その後陸は匙で働く間に兄妹との仲を深めていくのだが、私はこの部分を読んでいて引っ掛かりを感じてしまった。らーめん才遊記の芹沢達也の台詞が真っ先に浮かんだのは私だけだろうか。
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時に丸一日シフトで入り、日銭を稼ぐための仕事も両立する。バイト前や終了後の一時間でも拘束されようものならやれブラックバイトだ!と声を上げる今のご時世に於いて、人によっては見ているだけで吐き気を催すようなブラックを超越したダークネスバイト案件に違いあるまい。
時計の力を試すというのが動機であるにせよ不特定多数の人間を対象に行う人助けがボランティア的な意味合いが強うのに比べて、兄妹二人だけを助けるとなると話は違ってくる。辞めたくなったからやーめた!とバックレでもすると、陸の事をあてにしていた兄妹は痛手を負うこととなってしまう。刹那的な人助けではなくなり二人との関係性を維持し続ける必要があるのだ。
また客の健康、極論を言うと人の生死も関与する可能性すらある飲食業である。従業員には人並み以上の倫理観と衛生観念が求められ、それは仮に無償の仕事であったとしても仕事の責任は当然他の従業員と同じレベルの物が求められることとなる。
意気込んでいる最初の内は良いだろうが、それが長期間に渡ってとなってくると、本当に見返りも無しに熱意をもって仕事に取り組み続けられるのかは甚だ疑問だ。
それをお互いに詩乃がいなくなってしまった人恋しさがあったとはいえ、出会って一か月足らずの人間、しかも常連ではあるものの何かしら深いかかわりがあったとは言えない関係の陸に気を許すのは、余りにお気楽すぎやしないだろうか。そして陸も余りに安請け合いし過ぎではないだろうか。

以下(あらすじ注意)

タイムリープ

未喜の為に香澄の告白を断った篤史。今まで世話になってきた兄に、自分のことを一番に考えてほしかった未喜と衝突してしまう。頑なに譲らない篤史と喧嘩になって落ち込む未喜の為、告白を成功させるべく陸はリープ!
しかし何度試そうと確定してしまった未来=篤史が香澄を振るというのは変えることはできなかった。
だが一度振られたからって二人が結ばれない運命だと決めるのは早計というもの、ちゃんと事情を説明すればお互い納得して無事結ばれましたとさ。めでたしめでたし。
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次回、藍里シナリオ編へ続く……。
ではまたーノシ

AUGUST LIVE! 2016 にいってきまーす!

明日から東京へ行きます!>挨拶

とはいえ今回の目的はコミケではなくてですね……
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www.side-connection.com

オーガストのライブだったりして!ついでに関東の旅行もしてきますけどね。
という事でまたしばらく更新が空いちゃいます。……えっ、いつもの事だろって?はひ、その通りでございます。。
ではまたーノシ

伏見稲荷大社 散策

そうだ、京都へ行こう!>挨拶

有名なJR東海のキャッチフレーズですが、それを自ら体現することとなるなんて……。。
事の始まりは大阪へ帰ってきた友人と久しぶりに食事に行った時。
「まだ二時か……ちょっと早いしどっかいこうか?」
いいね!でもどこ行くのよさ?
「んー、京都とか!」
流石に遅くないかい、それに京都ったってどこへ?
清水寺とか、伏見稲荷大社とか、平等院とか色々あるやん。電車に乗りながら考えよーぜ!」
よっしゃ、おkww
という軽ーいノリで気付けば京阪電車に乗り込んでいました。私はどちらかといえば事前に計画立てないと不安な性質でこんな思いつきで遠出するなんて事はそもそも思いつきもしないのですが。
友人はというと仕事の合間を縫っては旅行しているような印象を受ける位各地を飛び回って楽しんでいるのですが、そんな旅で培ったフットワークの軽さを見習わなくてはなぁ……と。

京阪特急のダブルデッカーに座ることが出来たのですが、料金いらないんですねー。よっ、太っ腹!!
大阪住まいの私にとって京都は他の近隣県に比べて遠いという思い込みがありましたが、電車で揺られること一時間、二階車両からの風景を眺めているうちに伏見稲荷駅に着いてしまいました。
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境内は平日にもかかわらず観光客でごった返してます。最近の京都の観光地と同じく、外国の観光客ばかりが目につき、耳に飛び聞こえてくるのも日本語よりも外国語ばかりという印象。
伏見稲荷大社というと、かの有名な千本鳥居の吸い込まれてしまいそうな静謐なイメージだったのですが、それとは程遠い喧騒にまみれてしまっています。ああいうのはもっと朝早くに訪れないと味わえない空間のようですね。
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ですが山を登っていくにつれて徐々に人の数は減ると同時に騒がしさも鳴りを潜め、ひぐらしの鳴く声ばかりが周囲に響き渡るようになります。こういう雰囲気大好きなんですよねー。なんだか創作意欲が掻き立てられてくるぞい!
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山頂……ではなく中腹の四辻ですが、眺望は中々のもの。当日は気温は高いものの日差しが穏やかで上るのが楽で助かりました。
案内ではここからぐるりと一周30分くらいとのこと。石段があるとはいえ山道なので、革靴で上るのは少し大変でした。いやー、まさかこんなことになるとは。

ではまたーノシ

真紅せんせーお誕生日おめでとう

夏が来るたび思い出す>挨拶

それは消える飛行機雲だったり、amazing graceだったりするわけだけど。

ここ数年は、逆にこの日を迎える事で「ああ今年も夏が来たんだなぁ」と実感するようになった。

最近はゆっくりと一緒に過ごす機会がめっきり減ってしまったけれど。

それでも戻ってこられる、見つめ直すことが出来る場所があるというのはありがたいことだなぁとしみじみ。

今年こそ、最後までその瞳を見つめ、その手を取って、誓いを新たに歩みだそう。

そう心に決めた夏の日……。

Happy Birthday 真紅!!
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響け! ユーフォニアム 視聴感想 ~どうしてこんなに緊張するのかしら~

なんだこの緊張感!>挨拶

響け! ユーフォニアムを見ているのですが、一話目の冒頭部分からすでにまるで自分が当事者であるかのような緊張感を感じながら、思わず背筋を伸ばし姿勢を正してしまうくらい引き込まれてしまっている自覚があります。
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私自身は吹奏楽に関しては全くの素人なのでそれほど思い入れも無く、いわゆる部活モノ群像劇として見始めただけなのに、どうしてこれだけ胃が重くなるような緊張を強いられるほど作品世界に惹きつけられるのか。それは、響け! ユーフォニアムという作品が、まるでアニメであるという事を感じさせない程のリアルさを伴っているからではないかと思う。

なにが”リアル”だというのか。一見しただけでもわかる、絵の緻密さとキャラクターの表情の豊かさ。
大人数で行う吹奏楽の合奏、その部員一人一人に至るまできちんと描き分けている。
会話の最中には喋っているキャラクターが台詞を発しながら表情を変え動作を交えて、体全体でその時々の感情を表現する。複数で会話している際には、聞いている側も棒立ちになるのではなく相手の話題に合わせて細かくリアクションする。
一切の妥協を感じさせないような緻密でありながら、それでいてキャラクターたち以上に目立つことが無いよう主張しない美しい背景。風景をだけを映し出して時間経過や場面転換に利用するというアニメとしては珍しい演出。
金属質な光沢まで再現された楽器と演奏する際の自然な動作。
情景や心情がつぶさにうかがえるBGM(しかも音質も素晴らしい!)。

いまいちアニメに詳しいわけではない自分から見ても、アニメ制作の雄として名をとどろかせた京都アニメーション作品らしく、上記の全てがアニメとしての驚異的なクオリティの高さを誇っており、それらも勿論リアルさを感じさせる要因の一つに間違いないように思う。
しかし、普段自分がどんな素晴らしい映像作品を見ていても感じられないような妙な迫力を本作に感じる理由の本質は、そういった単に”アニメとしての質が高い”という映像的なアプローチだけでは説明しきれない。
実写映画やドラマを見ているとその人間の演技に”わざとらしさ”が優先して感じられてしまう為あまり好きではないのだが、響け! ユーフォニアムはアニメーションであるにもかかわらず、むしろそういった実写作品以上に、まるで作者の趣味が人間観察であるかと思わせるほどキャラクターたちの心の機微や環境下における行動に妙なリアルさ、生々しさを感じてしまうのだ。
そう、作中で久美子たちは、単なるキャラクターだと切って捨ててしまえる程記号的な存在ではなく、まるで自分で感じ、考え、行動しているかのような、どこまでも等身大の人物として青春の時を過ごしている姿がえがかれているのだ。

時に不用意なたった一言でダメになってしまう人間関係

「本気で全国行けるって信じてたの?」
物語冒頭で主人公、黄前 久美子の所属する吹奏楽部はコンクールで金賞を受賞したものの、それは関西大会への出場権の無い所謂ダメ金だった。
この受賞を聞いたときに久美子は隣で顔を伏せ肩を震わせる高坂 麗奈を見て泣くほど嬉しかったのだと勘違い。”よかったね、金賞で”と声をかける。
しかし麗奈は悔しさの余り涙を流して打ち震えていたのだった。“私ら全国目指してたんじゃないの?”と悔しがる麗奈に対しての久美子の返答だ。
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麗奈を激昂させるには十分だったこの言葉だが、久美子は何も皮肉でも冗談でもなくまさしく本心から自分たちの吹奏楽部が全国へ行けるだけの力量も練習量も持ち合わせていない事を自覚していたから思わず口をついて出てしまったのだろう。
だがそれは”本気で全国を目指していた” 麗奈にとっては、チームメイトが自分の想像よりもずっと真面目にやっていなかったことの証でしかなく、この瞬間二人の友情には大きな亀裂が入ってしまうのだが、久美子は言葉を発して麗奈の反応を見るまでは自らの発言で関係が悪化するなど夢にも思わなかっただろう。
人と人とのコミュニケーションは本当に難しい。
一人一人が異なる価値観と考えを持ち、同じ言葉一つとってみてもそれがもたらす意味合いも重みも全く変わってくるのだから。
自分としては軽い気持ちの発言だったとしてもそれが相手にとっては不愉快だったり意図しないような受け取られ方をする場合もあれば、今回の様に自身の言葉が持つ”重み”を軽視し過ぎていたが為に人間関係を駄目にしてしまうこともあるかもしれない。
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相手になんとしても伝えたい思いがあったとしても、それが怖くて伝えるのを二の足を踏んでしまう。
でも実際に相手と話してみると、自分の心配は杞憂で相手は思いの外気にしていなかった、なんてこともあるかもしれない。
久美子が一、二話において麗奈との距離感を測りかねて思い悩む姿を見ていて、彼女の思考が自分と良く似ている事に気が付いた。
わかる、わかるぞ、その気持ち!!と事ある毎にうんうん頷きながら見てしまったほど。これが本作を見ていて妙な共感を抱いてしまう主な理由かもしれないな……。
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相手によって変わる久美子の”顔”と、正反対のスタンスをとる麗奈の交流

私にとって一番のポイントはここかもしれない。
「親切ないい子の顔して、でも本当はどこか冷めてて」とは麗奈の久美子評だが、正しく久美子の本当の表情は後者であろう。
人は誰しも他者と接するときには相手によって求められる自分を演じている。
それは相手に好意的に受け入れられたい、意思疎通を円滑に測りたい、という打算的な思惑によるものだ。人
間が社会的動物である以上、これを無下に否定することはできない。
久美子の場合、相手によって明確に自分の姿を使い分けているのが作中で明示的に示されている。
先に書いたように集団に於いては当たり障りなく柳の様に受け流す余所行きの顔。共同体においては自己主張は極度に避け、良くも悪くも自分に注目が集まるのを避けようとする。
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ある程度見知った相手であればより素直に感情表現をして、時にガードが甘くなり思わず本音が漏れてしまったりもする。
さらに家族や秀一といった深く見知った関係で有れば今更取り繕うような事はあるまいとばかりに醒めてだらけたような応対を見せる。
そんな久美子の顔の変化を違和感なく受け入れられるのは声優さんによるところが大きいだろう。
普段の明るく元気な彼女と、家族や秀一と話すときのどこか投げやりでやる気の無さげな彼女の温度差が一言に込められていて、その演じ分けの上手さに驚いたとともに、その演出がリアルな彼女の像を結ぶために大いに役立っていたように感じた。
一方の麗奈はそんな顔の使い分けを由とせず、自分を偽ってまで共同体に属したいとは思わないという。
かっこいい生き方である。だが、それは同時に多くの艱難辛苦を抱え込む茨の道でもある事は明白だ。
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そんな対人関係におけるスタンスが全く正反対の二人の交流は、サンフェスの直前練習後に葉月と緑輝の二人と別れた後、車内で油断してだらけきった姿を麗奈が目撃したことがきっかけだった。
滝先生についてどうかと聞かれ、乗せるのが上手いもののいきなり全国大会優勝は無理だと懲りずに思わず本音を漏らす久美子。
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そんな様子が久美子らしいというと、後日先輩のトランペットを遠慮なく上から目線で評する麗奈を高坂さんらしいねとやり返すのを忘れない。
これを言われた直後赤くなり意識をそらすようにトランペットを吹く高坂さん可愛い……じゃなくて、そんな二人の見ていて微笑ましい交流は本作のハイライトの一つであろう。
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そんな二人の友情の結実の瞬間、八話の久美子と麗奈の二人が祭りの最中に大吉山に登るシーンは本作の中でも特に好きな場面の一つだ。
愛の告白というのは言い得て妙で、親切ないい子の皮をめくりたいという要するに他所行きの顔しか向けられない関係から一歩先の関係へと進めたいという意思表示は麗奈の反骨心が良く表れていると思う。
どんな時も折れる事無く我を通そうと努力を惜しまない彼女の姿は本当に神々しいまでで、雪女に見とれて死んでもいいという面白い表現でもってすんなり身に染みてくる。
お互いに自分を飾らず遠慮することなく本音で接する事の出来るような、得難い友人関係と言うのは見ていて本当に羨ましいものだ。
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共同体における同調圧力と自己表現の難しさ

全国大会出場を目指すか否か?顧問に就任した滝先生に問われた際には、多数決で全国大会出場を目指すと決まった。
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多数決の際、賛成にはちらほらと手が上がり、明確に反対したのは斎藤 葵の一人だけ。また賛成にも反対にも手を上げない人間も少なからずいたに違いない。
この時はまだ、部の方針として全国を目指すと言っても部内には楽観的な雰囲気が残っていた。
多くの部員たちは、以前どおり全国を目指すというスローガンを掲げながらも、それはあくまで努力目標であり、昨年通りのんびりやればいいと思っていただろうし、柔和な物腰の新しく着任した顧問の事を軽く見ていて、だからこそ全国を目指す意思はあるという見栄を張りたいという思惑もあっただろう。
こういった消極的な意思決定手段としての多数決を見ていると、共同体においていかにも”ありそう”だし、自身の経験も思い起こされるようだ。
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多くの部員が”なんとなく”流れに流されるようにして決めた全国大会出場に向けて、滝による特訓が始まった時、不満の矛先はスタート地点にも立っていないと酷評する滝へと向けられる。
ボイコットするかのように練習を中断する部員たち。
『今決めた目標は皆さん自身が決めた目標です。』『貴方たちは全国へ行くと決めたのです。』と滝が言うように、多数決の結果とはいえそれが部の総意であると認めた以上、自分たちの意志に違いない。
自分たちの思い通りにいかないときはその不満の捌け口を求めてしまうのも世の常。
彼女たちの場合はその不満を見返してやろうと練習に精を出す方向へと変換できたのは幸いだったが、実際にはもっとドロドロした悪い空気になってしまう事も少なくない。
集団においては、何かしら本当は思うところや胸の内に秘めた自分の考えがあるのだけれど、それを表に出すと空気を読まないと自分がその反感の対象となってしまうかもしれず、それが怖くて目を伏し俯いて見えない聞こえないふりして、周囲の意見に流されてしまう。
やはりそんな久美子は自分にそっくりだなと思いながら見ていたり。そしてそんなこととは縁遠い麗奈ちゃんがかっこよすぎる……。
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現在10話までみて、物語もいよいよ佳境に差し掛かってきました。
北宇治吹奏楽部は全国へ行けるのかはもちろん、久美子と麗奈を始め、部内の人間関係がどう変化するのかを楽しみに、最後まで見てみたいと思います。

ではまたーノシ